地鎮祭と書いて何と読む?
2016.07.30


【地鎮祭】と書いて、普通は「じちんさい」と読みますよね?
ですが、私たち神職は、これを「ところしずめのまつり」と読みます。
私も若いころは、何にも知らなくて、勉強していくうちに、「ところしずめ」と
読めるようになりました。若き至らぬときの自分に反省m(__)m。

さて、急になぜこんなタイトルを付けたかというと、先日親戚の大工さんより、
地鎮祭のご依頼があったからなんです。気心の知れた大工さんだったもので、
神饌(お供え物)の準備の手配や、竹などの準備のお願いをし、当日お迎えまで
出して頂き、執行してきたわけです。

神事準備として、お三方に神饌をのせ、祭壇に設置。
竹4本の周りに巻いてある縄に四垂を取り付け。神事道具の設置。
こんなところでしょうか?

そして、地鎮祭の執行です。
四方八方祓清めなどの諸儀を終わらせ、最後に祭壇に上がっているお神酒を
施主さん、施工主さんなどに飲んでいただくのですが、今回は、大人の人数と
同じくらいお子様がいらっしゃったので、こちらからお持ちしたお神酒用の杯が
足らなくて、仕方なくお子様たちには、紙コップで対応させて頂きました。
ごめんね。
もちろん、お子様たちにはお神酒をあげることはできないので、祭壇に上がった
水玉に入ったお水を飲んで頂くこととしました。

私が何を言いたくて、お神酒を飲む(献酒ばいたい)ことを書いたのか?
これは、一般的には、大人の方のみが行うような神事のひとつになっているかと
思うんですが、これからお家を建てて、自分たちが暮らしていくために、
土地の神々様に許可を得て、安全無事に工事に着手するための神事。
だからこそ、家族全員で乾杯した方が、子供たちも忘れちゃうかもしれないけど、
こころに何かしろ残ってくれればいいなぁという私からの気持ちなんです。

だから、大人も子供も飲み物は違ってもみんなで乾杯。
それが大事だと思うんです。
なかなか、そこまでする神職もいないと思うんですが、本当はそうやってほしい。
いや、そうあってほしいと思います。でなければ、神様への感謝の気持ちや
さっきも書きましたが、家を建てるってことの重大さ。などを感じ取ってほしいと
思うわけです。お子様は、何かやってるって思うだけだと思うんです。
でも、なかなか一般の人でも経験できない人生の通過儀礼なんだと思うんです。

さて、そんなこんなで地鎮祭が終わり、送迎をしてもらっているときに、大工さんと
お話ししていたのですが、「自分は司会進行がうまくできないし、お子さんへの
対応もうまくできなくて、神主さんありがとうございました。」って言って下さった
んです。私は、「そんなことないですよ。できることを私はしただけですから。」と
言って、私の神々様方のお話しをする際のことを大工さんにお話ししたんです。
大工さんはうんうん。と聞いて下さりました。


今回は、
ご神事に対する気持ち。
ご神事を行うものの気持ち。
そのようなことが少しでも伝われば嬉しいと思い、書き残してみました。

2016.07.30 09:37 | 固定リンク | ご神事 | コメント (0)
選挙
2016.07.08


参議院選挙が近いので、こんな写真にしてみました。

私などの宗教家は、時として選挙のことは触れません。
誰に入れてくれ!○○党に入れて頂戴。などと言いません。

でも、某宗教団体は、政党を持ってるんだった。(;^_^A

神道の場合は、選挙の時期になれば、当選祈願祭などを行う場合があります。

私はまだ、そんな大した神職ではないので(笑)、お話しが来ることはありませんが、
田舎でも大きな社(やしろ)を構えている神社には、ご依頼があるそうで(笑)。

となると、やっぱり当選祈願をした議員さんに勝って欲しいと思うのが、
人の人情。

でも、どんなものなんだろうか?
私も今回は、今までとは何だか考え方が変わってきていて、
(この一年、いろいろな方と巡り合ったおかげで)
選挙って簡単じゃないんだなぁって思います。

今までなら、誰に入れても一緒でしょ?
って感じてましたから。

もちろん、自由なんですよ。誰に入れても。
その後の事をきちっと守ってくれる、有言実行な方へ入れて下されば。

そのような人を見つけるのが難しい。
今となって、そう感じている所存です。
神様はいない?!
2016.07.01


こんにちは!(^^)/

今日は、良い天気で畑の草刈りもしなくてはならないのですが、お日様サンサンで、
現在自宅待機中のたけだです。(-_-;)

フェイスブックを見ていたら、とあるページの記事を見て、タイトルを
頂戴いたしました。

以下、その記事の転載です。
---
【神様はいない】
こんな人がいます。
面白い発想ですね。
本当に信じないのであれば、人はなぜ神社に行くのでしょう?


なぜ初詣に行くのでしょう?

なぜ神前で結婚式を挙げるのでしょう?

なぜ、お葬式に行くのでしょう?

なぜ神棚があるのでしょう?

なぜ、お守りを持っているのでしょう?

また、そういう人の腕にパワーストーンがあるのはなぜでしょう?

不思議ですね。

もし、今挙げた項目に1つも当てはまらないのなら、その人のことを世間では変人と呼びます。

それほど私たちと神は密着しているのです。
---

確かにおもしろい発想ですよね。
昨日、友人と話をしていたときもこんな事を言っていました。

『寺院神社へ行く人は増えたけれども、信仰心が無くなったと。』

最近流行している、スピリチュアブームなのかなぁ。
確かに、所属する宗教団体(お寺、神社、新興宗教など)に檀家、氏子などは減ってきてる。
神道でいえば、村、地域で言い方が悪いかもしれないけれど、半強制的に氏子さんになってもらって、その地域の神社を支えている。
これもいかがな話なのかなぁと思う。もちろん、地域の神社なのだから氏子は当然!という方もいらっしゃるのだから、そういう方にはどんどん参加はしてほしい。

私が言いたいのは、強制的に何かしら手伝わされていると感じているのであれば、
それはやめた方がいいという事だけ。

【自分から、率先できる神道であり続けたい。。。】

これは、多分私の家の代々受け継いできた祖父母たちも同じ意見だとは思うのだが。。。

続く。

- CafeNote -